冬の朝、淹れたての白湯から立ち上る湯気をぼんやりと眺めながら、身体が鉛のように重... #エッセイ

冬の朝、淹れたての白湯から立ち上る湯気をぼんやりと眺めながら、身体が鉛のように重くて布団から起き上がれない時間。

頭の思考は「なんて怠惰でダメな人間なんだ、早く動いてタスクをこなさなければ見捨てられる」と、冷酷な判決を下して自らを鞭打とうとする。

あるいは「あの人にも事情があるのだから、私が我慢して感謝すべきだ」と、頭の理屈で自らの感情を強引に説得しようとする焦燥感。

しかし、その正論に丸め込まれようとするたび、みぞおちのあたりがキュッと冷たく縮こまり、呼吸の深さを失ってしまう身体。

それは、自らの内なる本当の実感との間に、小さなしわ寄せを作って、神経系が悲鳴を上げている誠実なサインなのだと思う。

言葉のロジックで自分を騙すのをピタッと止め、まずは頭の言い分を一度保留にして、胸の奥のうまく言えない割り切れなさをただそのまま見つめる。

良し悪しの判断を一切挟まず、その質感(フェルトセンス)の傍らに、名前をつけずにただ伴に佇む Being の贅沢な調律。

主権をお腹の底に取り戻した瞬間、張り詰めていた背中の筋肉は芯から心地よくほどけていくのだろう。

このブログの人気の投稿

選択のまばたき

長年使い込まれてエッジの尖った...

佇まいの聖域