佇まいの聖域
耳が痛くなるほどの深夜の無音のなかで、ふと、考えてしまう瞬間がある
画面の向こう側でハジけるような熱狂と、際限のない自己顕示を繰り返す人々。
それを見つめていると、どうして私の喉の奥は、こんなにカラカラに乾き、
うっすらとした吐き気すら覚えてしまうのだろうか。
その過剰な熱量が、どこか酷く、不気味なものに思えてしまう…
いつからだろう、必死な自己顕示欲や他者を貶めてまで優位性を創作したり、
安っぽい予定調和の応酬に対して、生理的な拒絶反応を抱くようになってしまったのは ──
深夜、スマートフォンの画面をスクロールするたびに飛び込んでくる、
誰かのきらびやかな成功報告や、自分を大きく思慮深く見せるための、
一分の隙もなさそうな、もっともらしい言葉。
それらはまるで、実際の泥々した中身の抜けた、綺麗な張り子細工を見せられているかのような、
虚しい欺瞞を伴うときがある ──
その細工に群がり、いいねの数字を貪り食う人々の狂騒を見つめていると、
胃のあたりが、冷たい鉛を無理やり流し込まれたみたいに重くなって、
きゅっと縮こまるような感覚が押し寄せてくるかのようだ …
脳内を欲望やドーパミンで満たし、自らの存在価値を他人の気まぐれな評価に委ねるゲーム。
そのゲームに狂奔する姿は、まるでガソリンをぶちまけて大爆発を繰り返しながら、
自らの魂を真っ黒に焦がしていく自傷行為のようにすら、見えてしまうときがある。
── 狂騒から離れた場所で
本当のところ、そうした世間の狂乱から一歩引いた場所に身を置く姿勢は、
単なる冷めた傍観ではないのかもしれない。
綺麗にパッケージされた心理学や脳科学、哲学の言葉を借りて、
目の前にある生身の心の震えを、ただのシステムや症例として分類して片付けてしまうような、
血の通わない一見、知的な営みからも、私はとうに距離を置いているのだろう。
しかし、そうやって他人の浅ましさを冷徹に見つめ、「自分は、彼らとは違う場所にいる」という、
静かで特権的な選民意識のような独善に浸りたいわけでもないのだと思う。
これは、誰が優れていて、誰が間違っているかという、不毛な優劣のゲームではない。
ただ、内側から自然に湧き起こるものの波長が、そもそも違っているのだと思う…
一人ひとり、顔のつくりや骨格が自然に違っているように、ただ、世界を受け取る心のカラーや、
身体が求める静けさの度合いが、それぞれに最初から異なっているという、
素朴な事実にすぎない気がする。
それなのに、世の中はいつの間にか、声が大きく、分かりやすく、効率的なものばかりが、
さも正義であるかのように、まかり通って塗り替えられていくように思えてしまう。
その濁流のなかでは、声にならない小さな声や、目に見えないほど微細な心の揺らぎが、
平気で踏みにじられていく…
何よりもやりきれないのは、その靴底で誰かの大切な尊厳を踏み潰していること自体に、
彼らは最後まで気が付かない、という有り様なのだろう。
その無自覚な鈍さに直面するとき、私の胸の奥には、怒りというよりは、
どうしようもなく深く、冷たいやりきれなさが、ただ、静かに満ちていくのを感じてしまう。
世界から、少し距離を置く ──
それは戦いから逃げることではなく、その踏みにじられそうになる声なき声を、
自分のなかでだけは、静かに、大切に守り抜くための、自然で合理的な生存の現れに思えてしまう。
それでも、強張っていた皮膚の裏側が、ただ静かに、そして緩やかに解けていく、
この温かい感覚だけは、どうしても手放せないものだ。
── 凪に灯る一本のキャンドル
世界がどれほど「もっと、昂れ」「もっと、自分を証明しろ」と
カラフルな光で煽り立ててきたとしても、その不毛な競争に付き合う必要なんて、
最初からどこにもないのだと思える。
誰かの目を惹きつけるためのギラギラした興奮を手放したとき、
本当に私たちの身体が求めているのは、もっとゆったりとした、
静かなセロトニンやオキシトシンの佇まいだったのではないだろうか。
まぁ、セロトニンだとか、オキシトシンだとか、そんな小難しい科学の記号は、
本当はどうでもいいのだと思う。
ただ、温かい白湯を喉に流し込むときの、あのじんわりと胸に染み渡るような、
頼りなくて、ゆったりとした体温を、そのまま受け入れる。
それだけで、充分なのだと感じられる。
他人に認められる承認欲求や、何者かになろうとするための強固な盾を、
ときには置いておいてもいいのかもしれないね。
他者のジャッジを一切介さない、ただそこに在るだけの自分の呼吸を、
泥臭いまま、そのまま抱きしめてあげる優しさ。
そういう温もりを、世界はもっと… 大切にすべきなのではないだろうか。
それは、激しい爆発を求める息苦しい生き方への、どこか健気な、
あきらめのようなものかもしれない。
部屋の灯りを消して、ただ、暗闇が馴染んでいくのをじっと待つように、
内なる静かな温もりが、浅くなっていた呼吸を、そっと解いていくように ──
── 星空が告げる夜明け
そんな張り詰めた意識のまま、ふと見上げる星空の、圧倒的に果てしない時間軸に、
自らの歩みをそっと調和させていきたくなる ──
数億年という果てしないスケールから見れば、人間が日々血眼になって追い求めている
タイムラインの数字も、アルコールの微熱も、揺れ動く他者からの賞賛も、
夜空を一瞬だけ横切る塵のまたたきほどの、ほんのささやかな誤差にすぎないはずだ。
あなたがどう感じるかは分からないが、世界がどれほど浅ましく燃え上がっても、
あるいは冷たく凍りついても、この壮大な星空の運行は何一つ変わらず、
ただ、静かに巡り続けていくのだろう。
いつも他人の目を気にしていなきゃ、孤独を埋めなきゃ、と自分を急かしたところで、
その狂乱の痛みを、一体、誰が引き受けてくれるというのだろうか。
自分が本心から認めてあげない限り、本当の意味で自分は救われないのかもしれないな、とも
感じてしまう。
誰からの評価も介さない、ただの平穏を、ただの平穏のまま、星空の、
あの静かで悠久たる流れに、自らの呼吸を調和させていくプロセス ──
それは、刺激の波に囚われていた不器用な自分を、ようやく解放し始める、
静かな夜明けのような瞬間なのかもしれないね。
