お寺の古い境内の片隅、畳の乾いた草の匂いが静かに漂うなか、夜風に乗って庭の茂みか... #エッセイ

お寺の古い境内の片隅、畳の乾いた草の匂いが静かに漂うなか、夜風に乗って庭の茂みから蛍の青白い光が時折スッと明滅している、ある初夏の夜のこと。

格子窓の木枠に触れると、ざらざらとした乾いた土の質感が皮膚に伝わり、静かな夜のしじまに身を浸している凪の時間。

自分の中にふと湧き上がる、誰かに寄りかかりたいという切実な「依存心」や、どうしても不器用で「ずるい部分」を見つけて愕然とするとき。

「自立した大人として、こんな恥ずべきバグやエラーは必死に排除しなければならない」と、自らの心をいじめていた終わりのない自責のループ。

しかし、その格好悪さやずるさのさらに奥には、かつて不完全なありのままの姿を見せて居場所を失った、小さな痛みの記憶が眠っている。

その小さな痛みを、今夜、安全なこの部屋のなかでそっと優しく抱きしめ、「ここにいていいよ」と居場所を与えてあげる全人的な受容。

格好悪い自分のままで、ただここに息をして佇んでいる(Being)ことへの、無条件の許し。

他人に理解されるための不毛な努力をそっと手放し、人生の所有権を自分の手へと完全に取り戻した自治の姿。

重心がお腹の底にどっしりと安定するとき、みぞおちを縛り付けていた冷たい硬直はふっと温かく溶け去っていく。

外敵を警戒していた背中の筋肉は芯から心地よくほどけ、滞っていた生命のプロセスは温かく巡り出すはずです。

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