その古いアパートの片隅に放置されたまま、何年もの生活の重みを受け止めながら、ただ... #エッセイ

その古いアパートの片隅に放置されたまま、何年もの生活の重みを受け止めながら、ただ自らの温もりを床の上に馴染ませ続けていたのは、不完全な生のプロセスの証明だった。

古い石油ストーブがカタカタと低い排気音を立てて灯油の匂いを放ち、大気がゆっくりと静けさを取り戻していくのを確かめている、冬の終わりの誰もいないアパートの片隅。

使い込まれたリクライニングチェア代わりに床の上に身体を深く預け、すっかり毛羽立って、自らの形を周囲の床に柔らかく広げている古い毛布の温もりを、足の裏でありありと確かめている時間。

日常の人間関係のなかで、他人にはどこまでも優しいのに、自分自身に対してだけ冷酷なシステムエラー(バグ)の品定めを続けてしまう、あの過酷な感情労働の呪縛への直面。

「もっと完璧に振る舞え、ブレるな、一貫した正しいキャラクターで他人に適応しろ、脆さを見せるな」という、社会が量産した無機質なルールブックが頭をかすめるかもしれない。

しかし、世界中でたった一人になっても、いまの不格好な自分が一番の味方として寄り添うセルフコンパッション(自己慈悲)の作法を、今日、自らの明確な意思で許し直す引き算の選択。

頭のスマートなロジックで自らを強引に納得させようとするDoingのスイッチを完全に切り、自らの内なる生きたリズムに所有権を取り戻していく調律のいとなみ。

不完全な自らへのもやもやとした焦燥感と、その歪さに宿る唯一無二の深いコクを誇らしく思う慈悲の感覚が、胃の底で矛盾した泥のように混ざり合っている感覚。

親や周囲が提示した幸福のコピーを破り捨て、白黒はっきりとは割り切れない複雑なグラデーションを強引に塗りつぶそうと急がず、ただ、この古い毛布のひんやりとした質感と同化している。

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