深夜のファミレス、冷めきった珈琲の表面をぼんやりと見つめながら、友人の悲痛な怒り... #エッセイ

深夜のファミレス、冷めきった珈琲の表面をぼんやりと見つめながら、友人の悲痛な怒りや不満の叫びを聴いていた時間。

相手の抱える底深い絶望や怒りの海に、自分も無防備に飛び込み、相手の感情の波に巻き込まれて一緒に流されて溺れてしまうことは、本当の傾聴ではない。

それは相手を一人の独立した尊厳ある生命ではなく、自分がいなければ何もできない無力な存在として扱っていることの裏返しなのだ。

誰かの話を本当に聴くということは、一人の独立した生命として、相手が自らの足で立ち上がって夜明けを迎える力を信頼すること。

相手を信頼しながら、自らの足元に「不可侵のライン」という名の強固な石垣をミリ単位でカチッと保ち続ける大人の境界線の引き方。

「私は私、あの人はあの人」と冷たい水でそっと両手を洗い流し、自他の心の膜を身体感覚のレベルで思い出す調律。

手を離したその静寂の余白のなかにこそ、お互いの自立の美しいスペースが静かにひらいていく。

重心がお腹の底にどっしりと安定するとき、強張っていた背中の筋肉は芯から心地よくほどけていくはずだ。

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