天井でゆっくりと回る古い扇風機のぬるい風が、肌にまとわりつく湿気をかすかに冷まし... #エッセイ

天井でゆっくりと回る古い扇風機のぬるい風が、肌にまとわりつく湿気をかすかに冷まし、窓の外からは蚊取り線香の少し青臭い煙が漂ってくる、真夏の深夜のこと。

風の通らないトタン屋根のベランダに一人佇み、冷たい麦茶を湛えたグラスの表面に滴る結露の雫が、指先を冷たく濡らす感触をじっと確かめている静かな時間。

かつての私は、誰かに深く傷つけられた胸の激しい痛みを直視することが恐ろしくてたまらず、スケジュール帳の予定をすき間なく埋め尽くしては、感じないように走り続ける終わりのない Doing(操作)のなかにいました。

「役に立つ有能な人間であらねば居場所を失う」という過酷な生存ルールに急き立てられ、息を潜めるようにタスクをこなし続ける無限のレースの、なんと息苦しかったことだろう。

手帳の空白を過剰に怖れてしまうのは、一瞬でも立ち止まった瞬間に、底のない冷たい虚無感や寂しさの濁流に一気に押し込まれてしまうと、からだのセンサーが知っているからなのだ。

しかし、そんな他人の時計の針に無理に合わせる過剰適応のサバイバルは、あなたの大切な生命力を少しずつすり減らし、自律神経系をピリピリと過覚醒の檻に閉じ込めてしまうのだと思います。

今日、そのすべての予定のインクを一度消し去り、誰の期待にも応えず、何一つ社会的な価値を生産しない時間を自分自身に無条件に許可してあげる大人の引き算のしつらえ。

ただ深く新鮮な空気を肺の奥深くまで吸い込み、ここに在る(Being)という長大な時間軸の圧倒的な贅沢に、自らの心身を優しく浸してあげるセルフケア。

「がんばらなくても、私はここに存在していいのだ」と、みぞおちの冷たい硬直を温めるように深く、長い息を吐き出す。

人生の操縦桿を他者から自分の手へと完全に取り戻した瞬間、防衛のためにカチコチに固まっていた背中の筋肉は、芯から心地よくほどけていくのかもしれません……

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