── 境界線を引くという、切実な防衛

 



「心の凪」を思うときに、自らに向けられる「世界から少し距離を置き、自分のなかでだけ大切に守る姿勢は、単なる美しい逃避や、痛みを伴う社会への関与を放棄した卑怯なサボタージュではないか」という問いからも、目を背けるわけにはいかないのだろう。

もちろん、私自身、その泥々とした狂騒や不調和のすぐ隣に生きており、いつでも呑み込まれてしまいかねない、一人の当事者なのだと痛感する。

他人事などでは決してなく、その世界の摩擦のなかで、私自身の心や皮膚もまた、絶えず削り取られるかのように、常に自分自身の境界線が脅かされている。

だからこそ、ただ、渦に身を委ねて一緒に削り取られてしまうのではなく、静かに境界線を引き、自らの内に「凪」を保つための居場所を守り抜く在り方が必要なのだろう。

まずは、溢れる摩擦から一歩を引き、自らの呼吸を穏やかに調律する ──

呼吸困難な方をサポートするには、まず、自らがしっかりと陸に立ち、呼吸を整えていなければならないように、その凪の土台があって初めて、他者の傷を本当の意味でいたわり、寄り添える。

他者の心の痛みに耳を澄ませ、自らの加害性に自覚的であろうとする態度は、決して窮屈な規制ではなく、私たちが他者と「伴に」人間らしく生きていくための、極めてあたたかい知性の現れなのだろう。





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